治験文書の翻訳・ローカライゼーションにAIをどれだけ導入できるかーその②AI翻訳の主なリスク、AI翻訳の実践的なガバナンスモデル

前回の記事では、「治験文書の翻訳・ローカライゼーションにAIをどれだけ導入できるかー その①」として、AIの得意不得意分野、各文書の翻訳に関わる規制、コンテンツタイプ別のAI使用リスクと推奨されるワークフローについてまとめました。
今回の記事では、治験におけるAI翻訳の主なリスク、実践的なガバナンスモデルについて表を用いてまとめています。
治験におけるAI翻訳の主なリスク
コンテンツの正確性およびハルシネーション
最新の多言語モデルは、流暢な出力を生成できますが、内容の抜け・追加・言い換え(いわゆるハルシネーション)が発生する場合があります。治験では、これらの誤りが患者の安全リスクやコンプライアンス違反につながる可能性があります。⁵
データプライバシーおよび機密保持
治験のコンテンツには、機微な個人情報や機密性の高い治験実施計画書の情報が含まれることがあります。GDPRなどのプライバシーの枠組みでは、健康データを特別カテゴリとして厳格な取り扱い条件を課しています。スポンサーは、AIシステムが機密情報を漏えい・再利用しないよう確実に管理しなければなりません。⁹
トレーサビリティと説明責任
運用上の大きな問題のひとつが「シャドーAI(企業のIT部門や管理部門が正式に承認・把握していないAIツールを、従業員が個人の判断で業務に利用する行為や、そのツール自体のこと)」です。チームが承認されたシステム以外の一般向けツールにテキストをコピー&ペーストして利用するといったことが行われる可能性があります。これにより監査証跡が失われ、バージョン管理が不可能になり、レビューも推測に頼らざるを得なくなります。³
モデルドリフトと表現のばらつき
AIシステムは常に進化します。モデルのアップデートやプロンプトの変更、ベンダーの切り替えなどによって、用語や文体がバージョンごとに変わってしまうことがあります。翻訳メモリ(TM)や用語集といった強力な言語資産がなく、さらに一貫した監督とメンテナンスが行われない場合、スポンサー企業は多言語コンテンツの内容が異なってしまうリスクを抱えることになります。⁹
治験文書ローカライゼーションにおけるAI活用のための実践的ガバナンスモデル
これらのリスクへの対応策は、AIを完全に避けることではありません。ローカライゼーションでAI活用に成功しているライフサイエンス企業は、AIを「近道」ではなく、「管理可能な機能」として位置づけています。そして、AIの恩恵を享受しつつ、常にリスクを抑え、可視化できるガバナンスフレームワークを構築しています。
実用的なガバナンスモデルでは、スピードと安全性のバランスを取ります。リスクをゼロにするではなく、リスクを「見える化」「測定可能化」「制御可能化」することを目的としています。以下は、「ポリシー」「プロセス」「テクノロジー」の3つの観点からフレームワークを構築するための概要です。
ポリシー:コンテンツの階層ごとに許可範囲を明確化
• コンテンツ階層(高/中/低リスク)を定義し、それぞれの資産タイプをマッピングする
• 階層ごとに最低限必要なレビュー要件(専門翻訳者、現地レビュアー、メディカルチーム・法務・薬事担当など)を規定する
• AIの利用時には開示と承認済みツールの使用を義務化し、規制対象コンテンツでの未承認の一般向けツール利用を禁止する
• リリース時の受け入れ基準(例:用語遵守率など)を設定する
プロセス:標準化された「Human-in-the-loop(人間が介在する)」ワークフロー
• 既定の用語や訳文のデータベースとして、翻訳メモリと承認済み用語集を活用する
• 機械翻訳/大規模言語モデル(MT/LLM)の出力には、中〜高リスクおよび高リスクのコンテンツである場合、必要に応じてISO 18587に準拠したフルポストエディットを適用する
• 人によるレビューの前に、自動QAの工程(数値、日付、単位、タグ、リンク、一貫性チェックなど)を設ける
• バージョン管理を徹底し、原文が変更されるたびに、管理されたプロセスで、対象部分の再翻訳および再承認を実施する
テクノロジー:安全・統合・監査可能な基盤
• 翻訳ワークフローを既存システム(CMS、治験Webサイト、情報開示ポータルなど)に統合し、コピー&ペーストの作業フローの発生を防ぐ
• 多言語のコンテンツと用語の変更には、ロールベースのアクセス、監査ログ、バージョン履歴を必須とする
• さまざまなワークフロー(人、AI、ハイブリッド)を、明確なルーティングルールとレビューステップでサポートする
• • 翻訳エンジンに送信するデータの範囲を制御し、個人情報の送信を最小限に抑える。フォーム送信内容などは、可能な限りローカライゼーション工程の対象から除外する
治験文書のローカライゼーション・ソリューションで重視すべきポイント
• 翻訳やローカライゼーションは手作業でも対応可能ですが、手動のワークフローでは、頻繁なレビューや承認の繰り返しによって非常に多くの時間がかかり、ミスも発生しやすくなります。クリニカルオペレーション、コンプライアンス/品質管理、薬事、マーケティング、ITなど、さまざまな部門をまたぐ大規模チーム間でのやり取りが、作業を複雑化させ遅延の原因にもなります。
• さらに、分断されたワークフローの場合、監査証跡が不明瞭となり、スケジュールの遅延や、場合によっては患者へのリスクにもつながりかねません。そのため、多くのチームでは専用のローカライゼーション・ソリューションの導入を進めています。
• 治験環境に適した効率的なローカライゼーション・ソリューションは、プロセスの引き継ぎを減らし、承認記録を保持しながら、更新が発生した際にも多言語コンテンツの一貫性を維持できる必要があります。以下の表は、ローカライゼーション・ソリューションを選定する際の重要な検討ポイントをまとめたものです。

多くの製薬、バイオテクノロジー、CRO、医療機関が翻訳業務を言語サービスプロバイダーに委託しています。
トランスパーフェクトは30年以上の翻訳・ローカライゼーション実績を有しており、同業他社の中でも長い実績と、ライフサイエンス分野に特化した専門性を培っています。
翻訳に、翻訳エンジン、LLMなどを組み合わせるなど、お客様のニーズやコンテンツタイプに合わせて、柔軟なワークフローをご提案します。
その結果、スケジュールを短縮し、製品の市場投入を効率化して、R&Dコストを最大40%削減することが可能になります。
結論
AIは治験における翻訳やローカライゼーションを大きく加速させる可能性がありますが、それは管理されたワークフローの中に組み込まれてこそ意味を持ちます。成功している組織は、AIを品質システムの一部として捉え、その代替手段とは考えていません。
その基本方針はシンプルです:
• AIを適切に活用するためのリスク階層別ポリシーを策定する
• 用語集、翻訳メモリ、スタイルガイドといった強固な言語資産で、既定の訳文や用語、ルールなどを明確化する
• 臨床的な意味や規制上の意図に関しては人間が最終的な責任を持つ
• 自動QAで機械的なエラーを早期に検出する
• あらゆる変更・承認の過程を監査可能にするトレーサビリティを持つ
日々変化する多言語治験文書を扱うスポンサー、CRO、臨床研究チームにとって、今やローカライゼーションにAIを使うか使わないかを議論する時代ではなく、いかにガバナンスとトレーサビリティを徹底して有効活用するかが問われています。厳格な運用体制を整備することで、コンプライアンスや運用リスクを高めることなく、チームはより迅速に対応できるようになります。
<参照元>
- European Commission. (2018, February 22). Summaries of Clinical Trial Results for Laypersons.
- International Council for Harmonisation of Technical Requirements for Pharmaceuticals for Human Use. (2016, November 9). Integrated addendum to ICH E6(R1): Guideline for good clinical practice E6(R2).
- U.S. Food and Drug Administration. (2003, August). Guidance for industry: Part 11, electronic records; electronic signatures — scope and application.
- International Organization for Standardization. (2016). ISO 13485:2016: Medical devices — Quality management systems — Requirements for regulatory purposes.
- Guerreiro, Nuno M. Alves, Duarte M. Waldendorf, Jonas. Haddow, Barry. Birch, Alexandra. Colombo, Pierre. Martins, André F. T. (2023). Hallucinations in Large Multilingual Translation Models. Transactions of the Association for Computational Linguistics (2023) 11. 1500–1517.
- Wenhao Zhu, Hongyi Liu, Qingxiu Dong, Jingjing Xu, Shujian Huang, Lingpeng Kong, Jiajun Chen, and Lei Li. (2024). Multilingual Machine Translation with Large Language Models: Empirical Results and Analysis. Findings of NAACL 2024, pages 2765–2781.
- U.S. Food and Drug Administration. (2023, August). Informed consent: Guidance for IRBs, clinical investigators, and sponsors.
- International Organization for Standardization. (2015). ISO 17100:2015: Translation services — Requirements for translation services.
- European Parliament & Council of the European Union. (2016). Regulation (EU) 2016/679 of the European Parliament and of the Council of 27 April 2016 on the protection of natural persons with regard to the processing of personal data and on the free movement of such data, and repealing Directive 95/46/EC (General Data Protection Regulation). Official Journal of the European Union, L 119, 1–88.
トランスパーフェクトについて
弊社は翻訳サービス・AIソリューションを提供する翻訳会社大手であり、NYに本社、また東京・大阪を含め6大陸に渡って150以上の都市に支店を置いています。
翻訳・ローカライゼーションにおいて30年以上の実績があり、ライフサイエンス業界への高い専門性を評価していただき、多くの製薬会社、バイオテクノロジー企業、CRO、医療機関の皆様にご愛顧いただいております。
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